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日常生活:アイドル

南半球で過ごした40日

前回の記事にちょろっと書いたけど5週間オーストラリアに留学しに行きました。一言で言ってしまえば「楽しかった」のみです。こんな素敵な機会を与えてくれた両親、祖父母にありがとうでいっぱい。


前に、ベトナムに15日ボランティアで行きました。その時は寂しいなんて思わなくて、むしろベトナム暮らしてぇ〜!と思いながら泣く泣く帰国しました。正直、途上国で治安も良いとは言い切れない国であそこまで楽しめたことはある意味キセキ、恵まれました。そのことがあったからか、今回の留学は不安で押しつぶされそうではあったけど着いてしまえば大丈夫だろうと思っていました。が!!!行きの飛行機と、着いた日と、その次の学校の日はホームシックという病にかかりずっと泣いていました。笑われるかもしれないんだけれど、何もしてなくても考えてなくても涙が出てくる日が続きました。友だちやホストファミリーと話しているときは特に異常はないんだけど、一人になった瞬間、一人でバス乗ってる時とかいつの間にか泣いてる、ことが多くて気持ちわるっ!と思っていましたが、涙は止まらなかったし、最初は「一生留学なんかしたくない」と考えていたほどです。電話とかコンタクトしてくれた友だちがいてくれてよかった。慣れてからは、ケロっと、今は振り返ると楽かったのただ一言です。

私の通っていた学校は大学だったので大きくて自然豊かで素敵な学校でした。「glee で見たことある」の連呼で、終始興奮状態。ただ言葉では言い表せないのでググってほしい。

嬉しいことに、授業も、担当の先生も、クラスメイトにも恵まれました。授業中、先生たちは分からないと悩んでいたら答えてくれるし、終わった後も質問したら丁寧に答えてくれるし、何より名前をしっかり覚えてくれることが嬉しくて。オーストラリアは名前を大切にする文化があって、授業でも先生のことを先生、と呼ばずに名前で呼ぶことが当たり前で、日本にはそうゆうのあんまりなかったからか私も大切にしようと思いました。

クラスメイトも仲良しで、みんなでテーマパーク行ったり、休み時間はみんなでそれぞれの文化について話したり、日常生活のことについて話したり、ご飯食べたり本当にこのクラスは明るくて笑いが絶えないクラスでした。周りからも羨ましがられるクラスだったなー!オプションはオプションで嫌すぎて駄々コネてひたすら kanna! と気に掛けてもらえて楽しかったです。内容は難しいし何やってるかイマイチ不明だったけど、おそらく私を構ってくれる先生が嫌いじゃなかったんだと思います、単純よ。


私が暮らしていたBrisbaneは「slow&easy」な暮らし。デパートや栄えてるシティでさえも16時にはどこも閉まってしまうし、放課後遊びに行くは花金だけで、平日はファミリーで過ごすことが当たり前で。アメリカもどこもそうだけど、クリスマスも年末もお誕生日も家族で過ごす文化は私的にいいなあと感じるばかりでした。朝早く起きて学校行って18時にはご飯食べて映画タイム+アイスタイムがあって21時には寝る、のループ。小さい頃に見ていたアメリカンコメディの子どものような生活を送っていました、幸せでした。ファミリーでみんなでアイス食べながらリビングで寝転びながら映画観るなんて夢のようじゃない?(私は自分の子どもとそうしたいと思ってる)ホストファミリーは真面目な人たちだったけれどユーモアあって優しくて大好きでした。いつも気に掛けてくれて、勉強も教えてくれて最高でした、おかげでライティングの成績は良かった、という結果まで出しました。短い間だったことがちょっと寂しい。やっと打ち解けられたときにバイバイだったから残念でしたが、今もコンタクトを取っているので良かったかな、と。

※安心してください。どんなに心優しいファミリーでもオーストラリアではシャワー時間は5分未満でしたよ


1ヶ月しか時間がない私は土日はとりあえず街に繰り出して、魔法のカードを使っていました(帰国後まさかの事態で発作を起こしかけた) カンガルーやコアラ見たり、買い物したり、ゴールドコースト行ったり、テーマパークで朝から夜まで遊んだり、映画観に行ったり、自然がいっぱいのボルタニックガーデンに行ってみたり。最初にお外で食事をした時の冷めやらぬ興奮!今でも忘れません、たのしかったなぁ(しつこい)

この思い出たちは、現地で出会った友だちのおかげでいろんなことを吸収して経験できました。個人的にいろんなことがはじめてだらけだったので、ココロオドル毎日でした。あんなことやこんなことや、、って思い出すだけでニヤニヤ、というのは冗談で、きっと私の人生の中で会うべき人に出会うことができました。帰国してから、バイトの主婦の先輩にたまたまかな、「出会いは偶然じゃなくて必然だからね、会うべき人には会うし、会わない人には会わない人生よ」と言われました。まさにその桃李、通り!!!地球の裏側で気の合う友だちに合ってしまったのは、必然としか言いようがありません。地球の裏側、同じタイミングでいるか、普通、とツッコミを入れてもおかしくありません。オプションで同じクラスだったお姉様方たちは今でも連絡くれるし(他国籍でも歳上好き)、SNSでもコミュニケーションが取れて便利な世界になりましたよ本当に。

案の定、ご想像通り、最後のお別れのBBQの時には大泣きしました。これでもかってくらい、みんなに会えたことが嬉しくて、別れが寂しくて。ポエミーだな。言ってしまえばもう二度とこのメンバーで会えることはないんだと確信してしまってるから泣きました。大好きだったんだと改めて感じて泣きました。泣きわめいていた私に「This team was very short of your life. After this, you'll meet many kindly people and many exciting things will wait. Don't cry 」とダニエルが言ってくれました。「このタームは人生のほんの一瞬だよ、この先たくさんの人と出会って、たくさん楽しいことが待ってる、だから泣かないで」って。クラスのムードメーカーであり授業中もスマホいじいじしてしっかりしてよ、的な存在なダニエルがこんなに心を打つ言葉を放つからびっくりして泣きました。嬉しい、私に光を射してくれてありがとうダニエル。


楽しかったのも、いろんなことがあったのも「海外だから」と言ったらそれまでだと思います。確かに異国の地でワクワクするようなことをしているから日本では決して味わうことのできないような気持ちになっていたのかもしれない。だから、「海外だから」その一言で表すことが的確なのかもしれません。でも不思議なことに、日本に帰ったからってなにひとつ気持ちは変わることはなくて、むしろ変わらないので不安で押し潰されそうなことの方が多いです。オーストラリアで感じていた気持ちが味わえない辛さといいますか、狭い空間にいるせいか。ちなみにレディーファーストの週間が無い日本に対しては毎日ブチ切れています、リンゴを食べながら登校できないことにもイライラしています。どうにかしてくれジャパン。ドラマのような生活をさせてくれ。

ざ〜っと日記を見返して細かく書きたかったけれどそんな時間も器用さもないためこのくらいで。